桜とワシントンD.C.|日本からアメリカへ渡った桜の物語

アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.では、毎年春になると、淡いピンク色や白色の桜が街を美しく彩ります。
特にポトマック川沿いのタイダルベイスン周辺は桜の名所として知られ、満開の時期には多くの人々が花を楽しむために訪れます。
そしてワシントンD.C.の桜には、日本とアメリカの友好関係にまつわる歴史があります。その歴史を象徴する出来事が、1912年に日本からアメリカへ3020本の桜が贈られたことでした。
この贈り物は、当時の東京市長であった尾崎行雄をはじめ、多くの人々の協力によって実現しました。日本から海を渡った桜は、やがてアメリカの首都を代表する春の風景となっていきます。
なぜ日本の桜がワシントンD.C.に贈られ、現在まで日米友好の象徴として親しまれるようになったのでしょうか。
この記事では、桜の寄贈が実現するまでの経緯から、1912年の植樹式、そして現在まで続く桜を通じた日米交流の歴史について紹介します。
1. ワシントンD.C.に桜を植える計画
ワシントンD.C.に日本の桜を植えるという構想が生まれたのは、19世紀後半のことでした。
そのきっかけとなった人物が、アメリカの旅行作家でジャーナリストのエリザ・ルーハマ・シドモアです。
シドモアは1885年に日本を訪れ、各地を旅行しながら日本の文化や自然に触れました。なかでも彼女の心を強く引きつけたのが、日本の春を彩る桜でした。
当時の日本では桜の名所に多くの人々が集まり、満開の花を眺めながら春の訪れを楽しむ文化が根づいていました。
シドモアはこうした美しい風景に感銘を受け、アメリカの首都にも同じような景色を作りたいと考えるようになります。
帰国後、彼女はワシントンD.C.のポトマック川沿いに桜を植える計画を提案しました。
当時、ポトマック川沿いでは埋め立てによって新しい土地が整備されており、将来的に公園として利用する構想が進められていました。
シドモアはこの場所に日本の桜を植えれば、春になると美しい花の並木道が生まれ、多くの人々が楽しめる場所になると考えたのです。
そこで彼女は、首都の公園整備を担当する関係者に桜の植樹を提案しました。しかし、当時はほかの樹木を植える計画が優先され、彼女の提案はなかなか採用されませんでした。
それでもシドモアは桜の植樹を諦めず、20年以上にわたって関係者に働きかけを続けました。
やがて彼女の構想は、アメリカの植物学者や政府関係者の関心を集めるようになります。その一人がアメリカ農務省の植物学者デイヴィッド・フェアチャイルドでした。
フェアチャイルドは世界各地の植物を研究し、海外の有用な植物をアメリカへ紹介する活動に携わっていました。
日本の桜にも関心を持っていた彼は、1906年にメリーランド州の自宅の敷地に桜を植え、栽培を試みました。
その結果、桜がワシントンD.C.周辺の気候でも育つことが確かめられ、公共の場所に桜を植える計画が現実味を帯びていきます。
さらに1908年には、フェアチャイルドが地域の学校などに桜の苗木を配布し、桜の植樹を広める活動も行いました。
こうして、日本の桜をアメリカの首都に根づかせようとする動きが少しずつ広がっていきました。
そして1909年、シドモアが長年抱いてきた構想は大統領夫人ヘレン・タフトの協力を得ることで大きく前進することになります。
2. 大統領夫人と日本人たちの協力
1909年、シドモアはアメリカ大統領ウィリアム・ハワード・タフトの夫人であるヘレン・タフトに、桜の植樹計画について手紙を送りました。
ヘレン・タフトは夫がフィリピン総督を務めていた時期に日本を訪れた経験があり、日本の桜の美しさを知っていました。そのため、シドモアの提案に強い関心を示し、ワシントンD.C.のポトマック川沿いに桜を植える計画を支持します。
大統領夫人の協力を得たことで、長年にわたって構想されてきた桜の植樹が実現へと動き始めました。
さらに、この計画に関心を寄せた日本人がいました。その人物が日本の化学者である高峰譲吉です。
高峰はアメリカでも活動していた科学者で、アドレナリンの結晶化などの業績で知られています。また、日米の文化交流にも積極的に関わっていました。
高峰はワシントンD.C.に桜を植える計画を知ると、日本から桜を贈ることを提案しました。この提案には、当時ニューヨークの日本総領事を務めていた水野幸吉も協力します。
そして、この構想は日本側にも伝えられ、当時の東京市長であった尾崎行雄が桜の寄贈を支持することになります。
尾崎は日米親善を目的として、東京市からアメリカの首都へ桜を贈ることを決めました。
こうして、アメリカ側ではヘレン・タフトやシドモアが植樹計画を進め、日本側では高峰譲吉や水野幸吉、尾崎行雄らが桜の寄贈に向けて協力することになりました。
3. 最初に贈られた2000本の桜
1909年、東京市長の尾崎行雄らの協力によって、日本からアメリカへ2000本の桜が贈られることになりました。
この桜はワシントンD.C.のポトマック川沿いに植えられる予定で、日米両国の友好関係を象徴する贈り物として準備されました。
同年12月、桜の苗木は日本から船で運ばれ、アメリカ西海岸のシアトルへ到着しました。その後、鉄道でアメリカ大陸を横断し、1910年1月6日にワシントンD.C.へ到着します。
しかし、到着後に思いがけない問題が発生しました。アメリカ農務省が苗木を検査したところ、多くの桜から害虫や病気が発見されたのです。
検査では、植物に寄生するカイガラムシ類や線虫類などが確認されました。これらの害虫がアメリカ国内に広がれば、農作物や園芸植物に被害を与えるおそれがありました。
そのため、アメリカ農務省は国内の農業や植物を保護するため、苗木を焼却処分する判断を下しました。
1910年1月28日、ウィリアム・ハワード・タフト大統領も焼却処分を承認しました。
こうして、日本から長い航海を経て運ばれた2000本の桜はワシントンD.C.で花を咲かせることなく、すべて焼却処分されました。
この出来事は、桜の寄贈に関わった日米両国の人々にとって残念な結果となりました。
アメリカ側も日本からの贈り物を処分することを重く受け止め、国務長官から日本大使へ、今回の結果を残念に思う旨が伝えられました。
しかし、日本側は再び桜を贈ることを決めます。
東京市長の尾崎行雄らは改めて健康な苗木を準備し、今度は最初の2000本を上回る3020本の桜を贈る計画を進めました。
新たな苗木の準備では、害虫や病気を防ぐため、栽培や管理の方法にも十分な注意が払われました。
こうして、最初の寄贈で起こった問題を乗り越え、日本からアメリカへ再び桜を届ける計画が進められていったのです。
4. 日本から海を渡った3020本の桜
再び桜を贈るにあたり、日本側では苗木の準備が慎重に進められました。桜の接ぎ穂には、当時の東京・荒川堤で育てられていた桜が使われました。
現在の東京都足立区にあたる荒川堤は、明治時代から桜の名所として知られていた場所です。
ここには多くの品種の桜が植えられ、春になるとさまざまな色や形の花が咲き誇っていました。淡いピンク色や白色だけでなく、黄色や緑色などの花を咲かせる品種もあり、その色彩の豊かさから「荒川の五色桜」と呼ばれていました。
こうした荒川堤の桜から、1910年12月に接ぎ穂が採取されました。
接ぎ穂とは増やしたい品種の木から切り取った枝のことで、別の植物の根を持つ台木に接ぎ合わせることで、元の品種と同じ特徴を持つ苗木を育てることができます。
今回の寄贈では、兵庫県伊丹で育てられたヤマザクラの台木に、荒川堤の桜の枝を接ぎ木して苗木が作られました。
その後、苗木は害虫や病気に注意しながら管理され、アメリカへの輸送に備えました。
こうして準備された桜は、ソメイヨシノを中心とする12品種、合計3020本にのぼりました。
最も多かったのはソメイヨシノの1800本で、そのほかにもカンザン350本、イチヨウ160本、フゲンゾウ120本などが含まれていました。
また、黄緑色の花を咲かせるギョイコウや、香りのある花を咲かせるスルガダイニオイなど、日本の桜の多様性を伝える品種も選ばれました。
1912年2月、3020本の桜は横浜港から「阿波丸」に積み込まれ、アメリカへ向けて出発しました。船は太平洋を渡ってシアトルへ到着し、苗木はさらに鉄道でアメリカ大陸を横断して、東海岸のワシントンD.C.へと運ばれました。
そして1912年3月26日、3020本の桜はワシントンD.C.へ無事に到着しました。
最初の寄贈からおよそ2年。日本側の関係者たちが再び準備した桜は、長い航海と大陸横断の旅を経て、ようやくアメリカの首都へ届けられたのです。
5. 1912年3月27日の植樹式
桜がワシントンD.C.へ到着した翌日の1912年3月27日、最初の植樹式が行われました。場所は、ポトマック川に隣接するタイダルベイスンの北岸です。
この日、アメリカ大統領夫人のヘレン・タフトと、駐米日本大使の妻である珍田いはが、2本のソメイヨシノを植えました。
式典は少人数で行われ、二人は自らシャベルを手に取り、桜の苗木を植えました。
この植樹式は、日本から贈られた桜がアメリカの首都に根づくことを記念するとともに、日本とアメリカの友好関係を象徴する出来事となりました。
また、式典の最後にはヘレン・タフトから珍田いはへ、「アメリカン・ビューティー」という品種のバラの花束が贈られました。
その後、残りの桜もタイダルベイスン周辺やイースト・ポトマック・パークなどに植えられていきました。
1913年から1920年にかけても植樹が続けられ、タイダルベイスンの周囲にはソメイヨシノを中心とする桜並木が形成されていきます。
また、イースト・ポトマック・パークには、さまざまな品種の桜が植えられました。
こうして、日本から海を渡った3020本の桜は、ワシントンD.C.の春を彩る風景の一部となっていったのです。
現在、タイダルベイスンの北岸には、1912年の植樹を記念する青銅製の銘板が設置されています。
銘板には、東京市から友好と親善の証として贈られた桜が、1912年3月27日にこの場所に植えられたことが記されています。
6. 桜祭りの始まり
日本から贈られた桜は、ワシントンD.C.の人々に次第に親しまれるようになります。
1927年には、1912年の植樹を記念してワシントンD.C.の子どもたちによる行事が行われました。この行事では、桜の寄贈を記念する式典が開かれ、日米友好の象徴として桜を大切にする思いが表されました。
その後、桜の開花を祝う行事は次第に規模を拡大していきます。
そして1935年には、現在の「全米桜祭り(National Cherry Blossom Festival)」につながる祭典が正式に始まりました。
この祭りは日本から贈られた桜の開花を祝い、日米友好の歴史を記念する行事として発展していきます。
現在では、毎年春になると桜の開花に合わせて数週間にわたる祭典が開催され、パレードや音楽公演、日本文化を紹介するイベントなど、さまざまな催しが行われています。
特に有名なのが、タイダルベイスン周辺に咲く桜の風景です。
タイダルベイスンはポトマック川に隣接する人工の入り江で、周辺にはジェファーソン記念館やマーティン・ルーサー・キング・ジュニア記念碑など、アメリカの歴史を伝える建造物があります。
春になると水辺に沿って植えられた桜が一斉に花を咲かせ、白い記念館や青い水面とともに美しい景観を作り出します。
こうした風景はワシントンD.C.を代表する春の景色として広く知られるようになり、桜の季節にはアメリカ国内だけでなく、世界各地から多くの観光客が訪れます。
7. 日本とアメリカを結び続ける桜
ワシントンD.C.の桜は、1912年の寄贈から長い年月が経った現在でも日米友好の象徴として大切にされています。
1965年には、日本からアメリカへ新たに3800本のソメイヨシノが贈られました。
贈られた桜はタイダルベイスン周辺などに植えられ、ワシントンD.C.の桜の景観をさらに豊かにしていきました。
また、日本とアメリカの間では桜の保存や育成を通じた協力も続けられてきました。
1982年には、日本で失われた桜並木を復元するため、ワシントンD.C.の桜から採取された約800本の挿し穂が日本へ渡りました。
この挿し穂は、かつてアメリカへ桜を贈る際に接ぎ穂が採取された、東京の荒川堤の桜並木を復元するために役立てられました。
荒川堤ではその後の都市開発や環境の変化などによって、かつての桜並木が次第に姿を変えていました。そこで、ワシントンD.C.で育っていた桜の枝を日本へ持ち帰り、荒川堤の桜を再び育てる取り組みが進められたのです。
こうして日本からアメリカへ贈られた桜が、約70年後には日本の桜並木を復元するために役立てられることになりました。
さらに、1912年に贈られた桜の系統を将来へ受け継ぐため、現存する木から枝を採取し、新しい苗木を育てる取り組みも行われています。
桜は長い年月が経つと老木となり、生育が衰えることがあります。そのため、歴史的な桜の系統を守るには、接ぎ木などによって新しい木を育てることが重要になります。
ワシントンD.C.ではこうした方法によって桜の保存と更新が進められ、1912年の寄贈に由来する桜の系統が現在まで受け継がれています。
また、2012年には桜の寄贈から100周年を迎え、ワシントンD.C.では日米友好の歴史を記念するさまざまな行事が開催されました。
このように、桜を通じた交流は1912年の寄贈から一世紀以上にわたって続いています。
8. まとめ
ワシントンD.C.の桜は、1912年に日本からアメリカへ贈られた3020本の桜によって、現在につながる歴史が始まりました。
そのきっかけとなったのは、1885年に日本を訪れ、桜の美しさに感銘を受けたアメリカの旅行作家エリザ・ルーハマ・シドモアでした。
彼女はワシントンD.C.に日本の桜を植えることを長年にわたって提案し、やがて大統領夫人ヘレン・タフトや、日本の化学者高峰譲吉、東京市長尾崎行雄らの協力によって、その構想が実現することになります。
最初に贈られた2000本の桜は害虫や病気の問題によって焼却処分されましたが、日本側は再び苗木を準備し、1912年に3020本の桜をアメリカへ贈りました。
そして同年3月27日、ヘレン・タフトと珍田いはによって最初の2本が植えられ、ワシントンD.C.の桜の歴史が始まりました。
その後、桜はタイダルベイスン周辺に広がり、1935年には現在の全米桜祭りにつながる行事も始まります。
日本から贈られた桜は、アメリカの首都を代表する春の風景となり、日米友好の象徴として現在まで大切にされています。
さらに、桜の保存や育成を通じた交流も続けられ、かつて日本から贈られた桜の枝が、日本の桜並木の復元に役立てられることもありました。
一世紀以上前に日本から海を渡った桜は、今ではワシントンD.C.の春に欠かせない存在となっています。
そして毎年咲き誇る美しい花は、国境を越えて人々を結びつけた歴史と、現在まで続く日本とアメリカの友好関係を象徴しているのです。





