ジョゼフィーヌとバラ|ナポレオンの皇后が築いたマルメゾンの庭園

フランスの歴史において、バラを愛した女性として知られているのが、ナポレオン・ボナパルトの皇后ジョゼフィーヌです。
18世紀末から19世紀初頭にかけて生きたジョゼフィーヌは、パリ近郊にあるマルメゾン城で、世界各地の珍しい植物を集めた庭園を築きました。
なかでも特に情熱を注いだのが、バラの収集と栽培です。
ジョゼフィーヌはヨーロッパで古くから栽培されていたバラに加え、中国などに由来する珍しいバラも集め、マルメゾンには250を超える種類のバラがあったとされています。
また、植物学者や園芸家、画家たちを支援し、植物の研究や記録にも大きく貢献しました。
その活動は当時のフランスの園芸文化に影響を与え、マルメゾンのバラは現在まで語り継がれています。
なぜジョゼフィーヌはこれほどまでにバラを愛し、マルメゾンに壮大な植物コレクションを築いたのでしょうか。
この記事では、ジョゼフィーヌの生涯とマルメゾン城の庭園、バラの収集と栽培、そして後世に残した園芸文化への影響について紹介します。
1. ナポレオンの皇后ジョゼフィーヌ
ジョゼフィーヌは、1763年にカリブ海のマルティニーク島で生まれました。
本名はマリー・ジョゼフ・ローズ・タシェ・ド・ラ・パジュリといい、もともとは「ローズ」という名前で呼ばれていました。
当時のマルティニーク島はフランスの植民地であり、ジョゼフィーヌは島で農園を所有するフランス系の家庭に育ちました。マルティニーク島は温暖な気候に恵まれ、ヨーロッパとは異なる熱帯植物が豊かに育つ地域です。ジョゼフィーヌはこうした自然環境のなかで幼少期を過ごしました。
1779年、16歳のジョゼフィーヌはフランスへ渡り、貴族のアレクサンドル・ド・ボアルネと結婚しました。二人の間にはウジェーヌとオルタンスという子どもが生まれますが、夫婦関係は次第に悪化し、別居するようになります。
その後、1789年にフランス革命が始まると、貴族階級に属していたジョゼフィーヌの生活も大きく変化しました。
1794年には夫アレクサンドルが革命政府によって処刑され、ジョゼフィーヌ自身も投獄されました。しかし、同年にロベスピエールが失脚すると釈放され、パリの社交界へ戻ります。
そして1795年、ジョゼフィーヌは若い軍人だったナポレオン・ボナパルトと出会い、翌1796年に結婚しました。
ナポレオンはイタリア遠征などで軍事的な成功を重ね、1799年にはクーデターによってフランスの政治の実権を握ります。さらに1804年、ナポレオンがフランス皇帝に即位すると、ジョゼフィーヌも皇后となりました。
皇后となったジョゼフィーヌは、宮廷での華やかな生活を送りながら、芸術やファッション、室内装飾などにも強い関心を示しました。
なかでも特に情熱を注いだのが、植物の収集と庭園づくりです。
ジョゼフィーヌは世界各地の珍しい植物を集め、専門の園芸家や植物学者たちの協力を得ながら、自らの理想とする庭園を築いていきました。
その活動の中心となった場所が、1799年に購入したパリ近郊のマルメゾン城です。
2. マルメゾン城と庭園づくり
1799年、ジョゼフィーヌはパリの西に位置するリュエイユに、マルメゾン城を購入しました。
マルメゾンは、ナポレオンとジョゼフィーヌが暮らす私的な邸宅であり、政治家や軍人、芸術家などが集まる場所にもなりました。
ジョゼフィーヌはこの邸宅を、自分の理想とする庭園を築く場所として整備していきます。
庭園づくりには、当時ヨーロッパで人気を集めていたイギリス風景式庭園の考え方が取り入れられました。
イギリス風景式庭園は、左右対称の花壇や幾何学的な配置を重視するフランス式庭園とは異なり、自然の風景を思わせる曲線的な園路や芝生、樹木、水辺などを組み合わせる様式です。
ジョゼフィーヌは、造園家ルイ=マルタン・ベルトーをはじめとする専門家たちの協力を得ながら、庭園の整備を進めました。
敷地内には曲線を描く散策路や芝生、池などが設けられ、自然のなかを歩いているような景観が作り出されました。また、さまざまな樹木や花々が植えられ、季節ごとに異なる風景を楽しめる庭園となっていきました。
さらにジョゼフィーヌは、世界各地から珍しい植物を取り寄せ、庭園に植えることにも力を注ぎます。
当時のヨーロッパでは、海外から持ち込まれた珍しい植物を集めることが、富裕層や植物愛好家の間で広がっていました。ジョゼフィーヌもこうした植物収集に強い関心を持ち、ヨーロッパ各地の園芸家や苗木商、植物学者たちとの交流を通じて、さまざまな植物を集めました。
また、温暖な地域に自生する植物をフランスでも育てられるよう、敷地内には温室が設けられました。温室では、寒さに弱い植物を保護し、ヨーロッパでは珍しかった植物の栽培や観察が行われました。
こうしてマルメゾンは、美しい風景を楽しむ庭園であると同時に、世界各地の植物を集めて育てる場所として発展していきます。
そのなかでも、ジョゼフィーヌが特に情熱を注いだ植物がバラでした。
3. 世界各地から集められたバラ
ジョゼフィーヌは、マルメゾンの庭園にさまざまなバラを集めました。
当時のヨーロッパでは、ガリカローズやダマスクローズ、センティフォリアローズなど、古くから栽培されてきたバラが親しまれていました。
ガリカローズは赤や濃いピンク色の花を咲かせる古い系統のバラで、ダマスクローズは豊かな香りで知られています。また、センティフォリアローズは幾重にも重なる花弁が特徴で、その豪華な花姿から「キャベッジローズ」とも呼ばれていました。
ジョゼフィーヌはこうしたヨーロッパの伝統的なバラに加え、中国などから伝わった珍しいバラにも関心を寄せました。
特に中国原産のバラは、ヨーロッパの園芸文化に新しい特徴をもたらした植物でした。
ヨーロッパで古くから栽培されていたバラの多くは、春から初夏にかけて年に一度花を咲かせます。一方、中国から伝わったバラのなかには、春から秋にかけて繰り返し花を咲かせる性質を持つものがありました。
このような四季咲き性を持つバラは、後の品種改良にも大きな影響を与えることになります。
18世紀末から19世紀初頭にかけては、ヨーロッパと世界各地との交流が進み、それまでヨーロッパでは珍しかった植物が次々と紹介されるようになっていました。
ジョゼフィーヌは園芸家や植物学者、苗木商などとのつながりを活用し、さまざまなバラを取り寄せました。
フランスとイギリスが戦争を続けていた時代にも、イギリスの園芸家や苗木商との関係を通じて植物を入手していたことが知られています。
こうした収集活動によって、マルメゾンには250を超える種類のバラが集められたとされています。
また、ジョゼフィーヌは優れた園芸家を雇い、集めたバラの栽培や管理にも力を注ぎました。異なる地域から取り寄せたバラを育てるためには、それぞれの性質に合わせて土壌や日当たり、水やりなどを調整する必要があるためです。
こうしてマルメゾンには、ヨーロッパの伝統的なバラから海外に由来する珍しい品種まで、多様なバラが育つ環境が整えられていきました。
ジョゼフィーヌにとってバラは、鑑賞するための美しい花であると同時に、世界各地の植物を集め、その特徴を知る楽しみを与えてくれる存在でもあったのです。
4. 珍しい植物を育てるためのマルメゾンの温室
マルメゾンの庭園は、バラだけでなく、世界各地の珍しい植物を栽培する場所としても知られるようになりました。
ジョゼフィーヌはヨーロッパでは珍しかった植物を積極的に集め、フランスの気候に合わせた栽培にも取り組みました。
そのために重要な役割を果たしたのが、庭園内に設けられた温室です。
当時のフランスでは、熱帯や亜熱帯を原産とする植物を屋外で育てることは難しく、冬の寒さから植物を守る設備が必要でした。
マルメゾンには、ガラスを利用して太陽の光を取り込み、暖房によって室内の温度を保つ温室が整備されました。こうした設備によって、寒さに弱い植物も一年を通じて管理できるようになりました。
ジョゼフィーヌはバラのほかにも、ツバキやモクレン、シャクヤクなど、さまざまな植物を集めました。また、当時のヨーロッパでは珍しかったオーストラリア原産の植物もマルメゾンで栽培されました。
こうした植物の収集には、海外で行われた探検航海も大きく関係しています。
その代表的な例が、1800年から1804年にかけて行われたニコラ・ボーダンによるフランスの探検航海です。
この航海ではオーストラリア周辺の自然が調査され、多くの植物や動物が採集されました。持ち帰られた植物の一部はマルメゾンにも届けられ、園芸家たちによって栽培や観察が行われました。
また、ジョゼフィーヌは植物学者や園芸家を支援し、植物の生育状況や栽培方法を研究できる環境を整えます。庭園の管理には専門の園芸家が携わり、それぞれの植物に適した土壌や水分、温度などを考慮しながら栽培が進められました。
こうしてマルメゾンでは、フランスではまだ珍しかった植物の栽培が進められ、植物学者や園芸家たちの関心を集めるようになりました。
5. 皇后の地位を離れた後も続いた庭園への情熱
1809年、ナポレオンとジョゼフィーヌは離婚しました。
ナポレオンは皇位を継承する男子の後継者を望んでいましたが、二人の間には子どもが生まれませんでした。そのため、ナポレオンは新たな結婚によって後継者を得ることを決断します。
離婚後、ジョゼフィーヌは皇后の称号を保持しながら、宮廷での公的な役割を離れました。しかし、マルメゾン城での生活と植物への情熱は続きました。
ジョゼフィーヌは離婚後もマルメゾン城を所有し、庭園の整備や植物の収集に取り組みます。また、ナポレオンから経済的な支援を受け、園芸家や植物学者たちとの交流も続けていました。
この時期のジョゼフィーヌは、宮廷での公務から離れたことで、庭園づくりや植物の栽培に多くの時間を費やすようになります。
マルメゾンでは、世界各地から集められた珍しい植物が栽培され、バラのコレクションも大切に管理されていました。
ジョゼフィーヌは植物の収集だけでなく、栽培や品種改良にも関心を持ち、専門家たちの活動を支援しました。庭園では、植物の特徴や生育状況を観察しながら、さまざまな種類の植物を育てる取り組みが続けられました。
また、マルメゾン城はジョゼフィーヌの私的な住まいであると同時に、ヨーロッパの王族や貴族、芸術家などを迎える場所でもありました。
1814年には、ナポレオンの退位後にフランスへ入ったロシア皇帝アレクサンドル1世がマルメゾンを訪れ、ジョゼフィーヌと交流しています。
このように、皇后としての公的な役割を離れた後も、ジョゼフィーヌはマルメゾンを中心に社交活動を続けながら、植物に囲まれた生活を送っていました。
そして、1814年5月29日、ジョゼフィーヌはマルメゾン城で50歳の生涯を閉じます。彼女の死後、マルメゾンの広大な領地は次第に分割され、庭園に集められていた植物の多くも失われていきました。
それでも、ジョゼフィーヌが収集した植物の記録は受け継がれ、特にバラのコレクションは、マルメゾンを象徴する存在として、園芸史のなかに名前を残すことになりました。
6. 現在まで受け継がれるマルメゾンのバラ
現在、マルメゾン城は博物館として公開され、ジョゼフィーヌとナポレオンの時代を伝える場所となっています。庭園も整備され、ジョゼフィーヌが愛した植物の歴史を紹介する取り組みが続けられています。
2014年には、ジョゼフィーヌの没後200年を記念して、マルメゾンに歴史的な品種のバラを集めた庭園が整備されました。
この庭園では、ジョゼフィーヌの時代に栽培されていたバラや、19世紀以前から知られる歴史的な品種などが紹介されています。
特に、ガリカローズやダマスクローズ、センティフォリアローズなど、古くからヨーロッパで親しまれてきたバラは、当時の園芸文化を知るうえで重要な存在です。
これらのバラは、現代の品種とは異なる花の形や香りを持ち、ジョゼフィーヌが生きた時代のバラの魅力を現在に伝えています。
また、ジョゼフィーヌとマルメゾンの名は、バラの品種名にも残されています。それがスヴニール・ド・ラ・マルメゾン(Souvenir de la Malmaison)です。
1843年にフランスの育種家ジャン・ベルーズによって作出されたこのバラは、淡いピンク色の花弁が幾重にも重なる美しい品種として知られています。
名前には「マルメゾンの思い出」という意味があり、ジョゼフィーヌゆかりの庭園をしのばせる存在となっています。
このように、マルメゾンの庭園は、一人の女性が花に注いだ情熱が、長い年月を経て文化的な遺産となった場所なのです。
7. まとめ
ナポレオンの皇后としてフランスの歴史に名を残したジョゼフィーヌですが、彼女のもう一つの大きな功績は、植物を愛し、その収集や栽培、研究を支えたことにあります。
彼女は18世紀末から19世紀初頭にかけて、マルメゾン城に世界各地の珍しい植物を集めた庭園を築きました。
なかでも特に情熱を注いだのが、バラの収集と栽培です。
ジョゼフィーヌはヨーロッパの伝統的なバラに加え、中国などに由来する珍しいバラも集め、マルメゾンには250を超える種類のバラがあったとされています。
また、植物学者や園芸家を支援し、温室を整備することで、さまざまな植物の栽培や研究にも貢献しました。
現在でもマルメゾン城の庭園には歴史的なバラが植えられ、ジョゼフィーヌが愛した花の文化が紹介されています。





