エピソード
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カーネーションと母の日|一人の女性の思いから広がった花の習慣

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宮嶋あおば

カーネーションは現在、母の日に贈る花として世界各地で親しまれており、毎年5月になると、花屋の店先にはさまざまな色のカーネーションが並びます。

この習慣が広まるきっかけを作ったのが、20世紀初頭のアメリカで暮らしていたアンナ・ジャービスという女性でした。

アンナは亡くなった母を追悼し、その生涯や活動をたたえるための集会を開きました。そして母が好きだった白いカーネーションを用いたことから、カーネーションは次第に母の日と深く結びついていきます。

一人の女性が母を思う気持ちから始まった活動は、やがてアメリカ全土へ広がり、国が定める記念日へと発展しました。

この記事では、アンナ・ジャービスと母の物語から、母の日の誕生、カーネーションがその象徴となった理由、そして世界へ広がっていった経緯について紹介します。

1. 母の日を生み出したアンナ・ジャービス

現在の母の日の成立に大きな役割を果たした人物が、アメリカのアンナ・ジャービスです。

アンナは1864年、現在のアメリカ・ウェストバージニア州にあたる地域で生まれました。

彼女の母アン・リーブス・ジャービスは、11人の子どもを産みましたが、成人まで生きたのは4人でした。当時は乳幼児の死亡率が高く、衛生環境や感染症などが子どもたちの命を脅かしていました。

こうした経験もあり、アンは地域の母親や子どもたちの健康を守る活動に力を注ぐようになります。

1850年代には「Mothers’ Day Work Clubs」と呼ばれる活動を組織し、母親たちに衛生や子どもの健康について伝えました。地域の家庭を訪れて生活環境の改善を呼びかけるなど、母親と子どもを支えるための取り組みを続けていきます。

1861年に南北戦争が始まると、アンが暮らしていた地域でも北軍と南軍の対立が起こりました。

アンは戦争中も地域の人々を支え、負傷した兵士たちへの援助に取り組みます。そして戦争が終わった後には、かつて敵味方に分かれていた人々の関係を改善するため、元兵士とその家族などが交流する集会も開きました。

こうした母の姿を間近で見ながらアンナは育ちました。アンナは母を深く尊敬し、母親が家庭だけでなく地域社会でも果たしている役割をたたえるという考えに強い影響を受けていきます。

やがてアンナは成人するとフィラデルフィアで暮らすようになりますが、母との親しい関係はその後も続きました。

そして1905年5月9日、母アンが72歳で亡くなります。大切な母を失ったアンナは、その生涯と活動を人々の記憶に残し、母親へ感謝を伝える日を作りたいと考えるようになりました。

この母への思いが、やがて現在の「母の日」を生み出す大きなきっかけとなったのです。

2. アンナ・ジャービスが始めた運動

母アンを亡くしたアンナ・ジャービスは、その生涯や活動をたたえるとともに、母親へ感謝を伝える日を広めようと考えるようになりました。

アンナの母アンは、地域の衛生環境や子どもたちの健康を改善する活動に取り組み、南北戦争後には地域の人々の交流を促す活動も行っていました。

こうした母の姿を見て育ったアンナにとって、母の日を作ることは、自分の母を追悼するだけでなく、家庭や社会を支える母親たちの働きに目を向けてもらうための活動でもありました。

1907年5月、母アンの死から2年を迎えるころ、アンナはウェストバージニア州グラフトンにあるアンドリュース・メソジスト監督教会で、母をしのぶ小規模な集まりを開きました。この教会は、アンが長年にわたって活動していた場所でもあります。

そしてアンナは、母親へ感謝を伝える記念日をより広く定着させるため、政治家や聖職者、実業家などへ多くの手紙を書き、協力を求めました。

アンナが特に大切にしていたのは、一人ひとりが自分自身の母へ感謝を伝えるという考え方です。その思いは、記念日の英語名にも表れています。

彼女が使用した「Mother’s Day」は、Motherを単数形の所有格にした名称です。そこには、それぞれの人が「自分の母」を思い、その愛情や働きに感謝する日という意味が込められていました。

こうしたアンナの活動は次第に周囲の支持を集めていきます。

そして1908年5月10日、アンドリュース・メソジスト監督教会で大規模な母の日の記念行事が開かれました。

この行事で母への思いを象徴するものとして用いられたのが、後に母の日を代表する花となる白いカーネーションでした。

3. 最初の母の日と白いカーネーション

アンナ・ジャービスの活動が実を結んだのが、1908年5月10日のことです。

この日、ウェストバージニア州グラフトンにあるアンドリュース・メソジスト監督教会で、母親をたたえるための記念行事が開かれました。この教会は、アンナの母アン・リーブス・ジャービスが長年通い、地域の人々と交流していた場所でもあります。

アンナ自身はフィラデルフィアにいたためグラフトンの行事には出席しませんでしたが、母への思いを込めて500本の白いカーネーションを送り、参加者へ配られるようにしました。

アンナが選んだのは、母アンが好きだった白いカーネーションでした。

白いカーネーションは、アンナにとって母への思いを表す特別な花でした。アンナは、その白さを母の愛の純粋さに、甘い香りを母の愛に重ね、この花に母親の愛情を象徴する意味を見いだしていました。

また、カーネーションは花びらが散りにくく、長く花の形を保ちます。アンナはこうした特徴にも、母が子どもへ注ぐ変わらない愛を重ねていました。

同じ1908年5月10日には、アンナが暮らしていたフィラデルフィアでも母の日に関連する集会が開かれ、アンナはそこで母親をたたえる日を設けることの大切さを訴えました。

こうした行事をきっかけに、母の日を設けようとするアンナの活動は次第に広く知られるようになります。

そして、母の日の始まりとともに使われた白いカーネーションも、母への愛や感謝を表す花として人々の間に広まっていきました。

現在では赤やピンクなどさまざまな色のカーネーションが母の日に贈られていますが、その原点となったのは、アンナが亡き母を思って選んだ白いカーネーションだったのです。

4. 母の日がアメリカの記念日になるまで

1908年に母の日の記念行事が開かれると、アンナ・ジャービスは母の日をアメリカ全土へ広めるため、本格的な活動を始めました。

アンナは政治家や聖職者、実業家、新聞社などに数多くの手紙を送り、母親へ感謝を伝える日を設けることの大切さを訴えました。

こうした活動によって母の日は次第に知られるようになり、各地の教会や地域社会でも、5月の第2日曜日に母親をたたえる行事が開かれるようになります。

そして1910年には、アンナの故郷であるウェストバージニア州が母の日を正式に認めました。その後も母の日を取り入れる州は増え続け、数年のうちにアメリカ各地へ広がっていきます。

さらに1914年5月、アメリカ議会は毎年5月の第2日曜日を母の日とする共同決議を可決し、ウッドロウ・ウィルソン大統領がこれを承認しました。続いてウィルソン大統領は、母の日を全国で祝うための布告を出しました。

布告では、この日に政府の建物などで国旗を掲げ、アメリカの母親たちへの愛と敬意を公に表すことが呼びかけられました。

こうして、アンナが亡き母への思いから始めた活動は、1908年の教会での記念行事からわずか6年ほどで、アメリカ全土で祝われる母の日へと発展しました。

5. 白いカーネーションから赤いカーネーションへ

母の日の始まりを象徴した花は、白いカーネーションでした。

1908年に行われた最初期の母の日の記念行事で、アンナ・ジャービスは亡き母アンが好きだった白いカーネーションを用意し、参加者へ配りました。

アンナにとって白いカーネーションは、母への愛や思い出を表す特別な花でした。白い花弁の清らかさや、花びらが重なり合う姿、そして甘い香りなどを母の愛と重ね合わせ、この花を母の日の象徴として選びました。

母の日がアメリカ各地へ広がると、カーネーションを身につけたり、母へ贈ったりする習慣も広まっていきます。

そのなかで、カーネーションの色によって異なる意味が込められるようになりました。亡くなった母をしのぶ場合には白いカーネーションを、健在の母には赤いカーネーションを用いるというものです。

こうして、もともと母への追悼から選ばれた白いカーネーションに加え、赤いカーネーションも母の日を代表する花となっていきました。

特に赤いカーネーションは、母への愛や感謝を直接伝える花として広く親しまれ、現在では母の日を象徴する色として定着しています。

6. 世界へ広がった母の日

1914年にアメリカで5月の第2日曜日が母の日として定められると、母親へ感謝を伝えるという習慣は、次第に世界各地へ広がっていきました。

20世紀前半には、アメリカの文化やキリスト教関係者などを通じて母の日が各国へ紹介され、母親へ花やカード、贈り物を渡して感謝を伝える習慣が知られるようになります。

現在では、日本をはじめ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど多くの国で、アメリカと同じ5月の第2日曜日に母の日が祝われています。

一方、その国や地域が持つ歴史や宗教的な習慣と結びつき、独自の形で発展した例もあります。

例えばイギリスでは、古くから「Mothering Sunday」と呼ばれる日があります。キリスト教の四旬節の第4日曜日に、自分の地域の「母なる教会(mother church)」を訪れる習慣から発展し、やがて家族のもとへ帰り、母親と過ごす日としても親しまれるようになりました。

20世紀になると、アメリカで広まった母の日の文化とも結びつき、現在のイギリスでは Mothering Sunday に母親へ花やカード、プレゼントを贈ることが一般的になっています。

フランスでは母の日は「Fête des Mères」と呼ばれ、現在は原則として5月の最終日曜日に祝われています。20世紀前半から母親をたたえる行事が広がり、1950年には法律によって母親を祝う日が正式に定められました。5月の最終日曜日がキリスト教の聖霊降臨祭と重なる年には、6月の第1日曜日に移されます。

また、母の日を祝う時期は世界共通ではなく、国によって大きく異なります。例えばスペインでは5月の第1日曜日、アルゼンチンでは10月の第3日曜日など、それぞれ異なる時期に母親へ感謝を伝えています。

このように、現在「母の日」と呼ばれている行事には、20世紀初頭のアメリカから広がった母の日を取り入れた国もあれば、もともと存在していた宗教行事や家族の習慣と結びつきながら現在の形へ発展した国もあります。

国によって日付や祝い方には違いがありますが、母親へ花や贈り物を渡し、日頃の感謝を伝えるという習慣はさまざまな地域に根付いています。

7. まとめ

1908年に母の日の記念行事が行われてから100年以上が経過しました。現在では、母の日は世界各地で親しまれる記念日の一つとなっています。

贈り物もカーネーションだけでなく、バラやアジサイなどの花、菓子、衣類、雑貨などさまざまです。

それでもカーネーションは、現在まで母の日を代表する花であり続けています。

その背景には、アンナ・ジャービスと母アンの物語があります。

母の死をきっかけとして始まった追悼の活動から、一つの記念日が生まれ、その象徴として選ばれた白いカーネーションが世界へ広がっていきました。

現在、母の日にカーネーションを贈るという何気ない習慣のなかには、100年以上前に一人の女性が母へ抱いた思いが受け継がれているのです。

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