赤バラと白バラ|薔薇戦争の名に刻まれた二つの花

イングランドの歴史には、二つのバラの名で知られる長い争いがあります。それが、15世紀に起こった「薔薇戦争」です。
薔薇戦争は、赤いバラを象徴とするランカスター家と、白いバラを象徴とするヨーク家が、王位や政治の主導権をめぐって争った一連の内戦です。
赤と白という対照的な色を持つ二つのバラは、それぞれの王家を象徴する花として歴史に刻まれました。
そして長い争いの末、二つの家を結びつける新たな王朝が誕生します。その象徴となったのが、赤バラと白バラを一つにした「テューダー・ローズ」です。
なぜバラが王家の象徴となり、イングランド王位をめぐる争いの名前にまで残ることになったのでしょうか。
この記事では、ランカスター家とヨーク家の成り立ちから、赤バラと白バラを象徴とする両家の争い、そして二つの花を一つにしたテューダー・ローズの誕生まで解説します。
1. ランカスター家とヨーク家
薔薇戦争で争ったランカスター家とヨーク家は、どちらも14世紀のイングランド王エドワード3世につながる家系です。
ランカスター家は、エドワード3世の息子ジョン・オブ・ゴーントの家系につながります。
1399年には、その息子ヘンリー・ボリングブルックが国王リチャード2世から王位を奪い、ヘンリー4世として即位しました。ここからランカスター家による王朝が始まります。
王位はその後、息子のヘンリー5世へと受け継がれました。ヘンリー5世は百年戦争でフランスに遠征し、1415年のアジャンクールの戦いで大きな勝利を収めたことで知られています。
しかし1422年、ヘンリー5世は若くして亡くなります。そのため、まだ幼かった息子ヘンリー6世がイングランド王となりました。
ヘンリー6世の治世には、百年戦争でイングランドが支配していたフランス領の多くを失い、国内でも有力貴族の対立が深まっていきました。さらにヘンリー6世は1453年に深刻な精神的不調に陥り、政務を行うことができない状態になります。
こうした状況のなかで大きな政治的影響力を持つようになったのが、ヨーク公リチャードです。
リチャードもエドワード3世の子孫で、王位継承権を主張できる有力な血筋を持っていました。ヘンリー6世が政務を行えなくなった時期には護国卿となり、国政を担っています。
しかし、ヘンリー6世の王妃マーガレット・オブ・アンジューや国王を支持する有力貴族と、ヨーク公リチャードを中心とする勢力との対立は次第に深まっていきました。
こうして、同じエドワード3世につながるランカスター家とヨーク家の対立が、やがて王位をめぐる大きな争いへと発展していきます。
2. ランカスター家の赤バラとヨーク家の白バラ
薔薇戦争を象徴するのが、ランカスター家の赤バラとヨーク家の白バラです。
中世のイングランドでは、王族や貴族が自分自身や一族を示すために、動物や植物などを図案化した紋章やバッジを使用していました。こうした象徴は衣服や旗、建築物などにも取り入れられ、その人物や家系とのつながりを示す役割を持っていました。
ランカスター家を象徴する花として知られているのが、赤バラです。赤いバラはランカスター家と結びつき、薔薇戦争を象徴する花の一つとなりました。
そして、その赤バラと対になるのが、ヨーク家を象徴する白バラです。一般に「ヨークの白バラ(White Rose of York)」と呼ばれ、白い花弁を持つバラの形で表されます。
このように、ランカスター家の赤バラとヨーク家の白バラは、二つの王家を象徴する対照的な花となりました。
3. 薔薇戦争の始まり
ランカスター家とヨーク家の対立が武力衝突へと発展したのが、1455年です。
同年5月、ヨーク公リチャードを中心とする勢力と、国王ヘンリー6世を支持する勢力が第一次セント・オールバンズの戦いで衝突しました。
一般に、この戦いが薔薇戦争の始まりとされています。この戦いではヨーク派が勝利し、ヘンリー6世はヨーク派の支配下に置かれることになりました。
当初、この争いは国王を取り巻く有力者同士による政治の主導権争いという側面がありました。しかし対立が続くにつれて王位継承そのものが大きな問題となり、ランカスター家とヨーク家を中心とする王位争いへと発展していきます。
1460年には、ヨーク公リチャードが自らの王位継承権を主張するようになりました。同年に成立した協定では、ヘンリー6世が生涯にわたって王位を維持する一方、その死後はヨーク公リチャードとその子孫が王位を継承することが定められました。
しかし、これによってヘンリー6世の息子エドワード・オブ・ウェストミンスターの王位継承権が失われることになります。
王妃マーガレット・オブ・アンジューを中心とするランカスター派はこれに反発し、争いはさらに激しくなっていきました。
4. ヨーク家のエドワード4世が王位につく
1460年12月、ヨーク公リチャードはウェイクフィールドの戦いでランカスター派に敗れ、命を落としました。
しかし、ヨーク派の勢力が失われたわけではありません。父の主張を引き継いだ息子エドワードは軍を率いてランカスター派と戦い、1461年3月には国王エドワード4世として王位につきました。
そして同月29日、ヨーク派とランカスター派はタウトンの戦いで激突します。タウトンの戦いは、薔薇戦争のなかでも特に大規模な戦いとして知られています。
戦いはヨーク派の勝利に終わり、エドワード4世の王位はより確かなものとなりました。一方、ランカスター家のヘンリー6世と王妃マーガレット・オブ・アンジューは追われる立場となります。
こうしてヨーク家がイングランド王位を獲得しました。
しかし、これで争いが終わったわけではありません。やがてヨーク派の内部でも対立が起こります。
エドワード4世の即位に大きく貢献したウォリック伯リチャード・ネヴィルは、次第に国王と対立するようになりました。
「キングメーカー」として知られるウォリック伯はランカスター派へ転じ、1470年にはヘンリー6世を王位へ復帰させます。これによってエドワード4世は一時的に国外へ逃れました。
しかし翌1471年、エドワード4世はイングランドへ戻り、王位の奪還を目指します。
1471年4月のバーネットの戦いではヨーク派が勝利し、ウォリック伯は戦死しました。
さらに同年5月のテュークスベリーの戦いでもヨーク派がランカスター派を破り、ヘンリー6世の息子で王位継承者だったエドワード・オブ・ウェストミンスターが命を落とします。その直後にはヘンリー6世もロンドン塔で亡くなりました。
こうしてエドワード4世の支配が再び確立され、王位をめぐる大規模な争いはいったん落ち着きを見せました。
5. リチャード3世の即位
エドワード4世は1471年に王位を取り戻した後、1483年に亡くなるまでイングランドを統治しました。
その死後、王位を継承したのが息子のエドワード5世です。しかしエドワード5世はまだ少年であったため、叔父にあたるグロスター公リチャードが護国卿となりました。
その後、エドワード5世と弟のヨーク公リチャードはロンドン塔に入り、やがて公の場から姿を消します。そして1483年6月、グロスター公リチャードが国王リチャード3世として即位しました。
こうしてヨーク家からは、エドワード4世に続いてリチャード3世が王位につくことになります。
一方、リチャード3世の即位によって政治情勢は再び大きく変化しました。
リチャード3世に反対する勢力が生まれ、そのなかで新たな王位継承候補として注目されるようになったのが、ランカスター家につながる血筋を持つヘンリー・テューダーでした。
6. ヘンリー・テューダーの登場
ヘンリー・テューダーは1457年、ウェールズ南西部のペンブルック城で生まれました。
父はエドマンド・テューダー、母はマーガレット・ボーフォートです。母マーガレットは、エドワード3世の息子でランカスター家の祖となったジョン・オブ・ゴーントの子孫でした。そのため、ヘンリーも母を通じてランカスター家につながる血筋を持っていました。
1471年にヨーク派がバーネットの戦いとテュークスベリーの戦いで勝利すると、ランカスター派の有力者や王位継承候補の多くが失われました。
こうした状況のなかで、ヘンリー・テューダーはランカスター派にとって重要な存在となっていきます。
しかし、当時のイングランドはヨーク家のエドワード4世が支配していたため、ヘンリーはブルターニュなどで長い亡命生活を送りました。
そして1483年にリチャード3世が即位すると、ヘンリーはリチャードに反対する勢力の中心人物の一人となります。
ヘンリーは、エドワード4世の娘エリザベス・オブ・ヨークと結婚することを約束しました。ランカスター家につながる自らと、ヨーク家の王女エリザベスとの結婚を示すことで、リチャード3世に反対する幅広い勢力から支持を集めようとしたのです。
1485年、ヘンリーは軍を率いて海を渡り、故郷であるウェールズへ上陸しました。その後イングランドへ進軍し、リチャード3世の軍と対峙します。
両者が激突したのが、1485年8月22日のボズワースの戦いです。戦いはヘンリー側の勝利に終わり、リチャード3世は戦場で命を落としました。そしてヘンリーは国王ヘンリー7世として即位し、新たなテューダー朝を開きます。
このボズワースの戦いとテューダー朝の成立は、長く続いた薔薇戦争の大きな区切りとなりました。
7. 赤バラと白バラを結んだ結婚
ヘンリー7世が王位についた翌1486年、かねて結婚を約束していたエリザベス・オブ・ヨークとの結婚が行われました。
ランカスター家につながるヘンリーと、ヨーク家の国王エドワード4世の長女エリザベス。この二人の結婚は、長く対立してきたランカスター家とヨーク家を結びつける象徴的な出来事となりました。
さらに二人の間には、後にイングランド王となるヘンリー8世をはじめとする子どもたちが生まれます。
こうしてランカスター家とヨーク家につながる血筋は、新たなテューダー王家へと受け継がれていきました。
そして、この二つの家の結びつきを花によって表したものが「テューダー・ローズ」です。
8. テューダー・ローズの誕生
テューダー・ローズは、ランカスター家を象徴する赤バラと、ヨーク家を象徴する白バラを組み合わせた紋章です。一般的には、外側に赤い花弁、内側に白い花弁を重ねた一輪のバラとして描かれます。
ヘンリー7世は、このテューダー・ローズを新しい王朝を象徴する紋章として使用しました。王宮や礼拝堂などの建築物にもテューダー・ローズの意匠が取り入れられ、王家に関係するさまざまな場所を彩るようになります。
赤い花弁はランカスター家、白い花弁はヨーク家を表しています。そこには、テューダー朝が二つの王家を結びつけ、長く続いた争いの後に新しい秩序を築いた王朝であることを示す意味が込められていました。
かつて対立する二つの王家を象徴した赤バラと白バラは、一つの花として組み合わされることで、新しい王朝と二つの家の結びつきを表す象徴へと変わっていったのです。
その後もテューダー・ローズは王家を象徴する意匠として受け継がれ、現在までイングランドの歴史を代表するシンボルの一つとして知られています。
7. まとめ
15世紀のイングランドでは、ランカスター家とヨーク家を中心とする勢力が、王位や政治の主導権をめぐって争いました。これが後に「薔薇戦争」と呼ばれる内戦です。
ランカスター家を象徴するのが赤バラ、ヨーク家を象徴するのが白バラでした。赤と白という対照的な色を持つ二つの花は、それぞれの王家を表す象徴として使われるようになります。
1455年に本格化した争いでは、両家の勢力が何度も衝突し、ヨーク家のエドワード4世が王位についた一方、ランカスター家のヘンリー6世が一時的に復位するなど、イングランド王位は大きく揺れ動きました。
そして1485年、ボズワースの戦いでリチャード3世を破ったヘンリー・テューダーが、ヘンリー7世として即位します。
翌1486年、ヘンリー7世はヨーク家のエリザベス・オブ・ヨークと結婚します。ランカスター家につながるヘンリーとヨーク家の王女エリザベスの結婚は、二つの王家を結びつける象徴的な出来事となりました。
そして、この結びつきを花によって表したのが「テューダー・ローズ」となります。
こうして、かつて二つの王家を象徴していた赤バラと白バラは、争いの歴史を表すだけでなく、その後は二つの家の結びつきと新しい王朝の始まりを表す花にもなったのです。





